関ジャニ∞横山裕さんの生い立ちが壮絶。
29日放送の「A-Stuido」で関ジャニ∞の横山裕が、亡き母と、弟への思いに涙する場面が放送された。
義父からの虐待、祖父母に育てれられた過去。
ソロ曲「オニギシ」「413man」に込められた思い。
母の死後の弟の謎の記憶喪失。
明るいキャラクターから見え隠れする横山の闇根源や家族のエピソードについてまとめてみました。
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母親の愛情を受けられなかった幼少期
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横山裕さんが3歳の時に両親が離婚。
その後母親はすぐに再婚し、横山さんが6歳の時に次男、8歳の時に三男が生まれています。
しかし横山さんは母親の再婚相手の義父から邪魔者扱いされることとなり、母親も義父の機嫌を取るために、横山さんを邪険に扱っていたそうです。
母方の祖父・祖母に横山さん一人が預けられ、母と離れ離れにされてしまいます。
4歳だった横山さん、はっきりと記憶に残っているでしょうね。
想像しただけで辛い。
心が痛いですね。
育ての親、祖父の死
その後、幼き日を祖父と暮らす横山さん。
しかし横山裕さんが中学生になった頃、育ての親であった祖父が倒れてしまい、死去してしまう。
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横山さんのソロ曲「413man」には祖父への思いが綴られています。
「ごはんを作ってくれてありがとう」
「いっぱいいっぱい優しさを教えてくれてありがとう」と感謝のきもちや、
休みの日にいつも祖父と一緒に虫取りに出かけていたこと、そして急に虫取りにいけなくなった日のこと。
病院から返ってきた祖父の心臓に機械のようなものがついていたこと。
横山さんが心配すると
「かっこいいだろ」と笑ってくれたこと。
葬儀の日に、親戚が笑顔で送り出すというしきたりを知らなかった横山さんは、「なんで笑ってんねん」と親戚中に切れてしまったエピソードなど。
涙なしでは聞けない、祖父への思いが詰まった曲となっています。
そして、歌詞の最後には「僕にも大切な仲間ができました」と綴られています。
この「413man」は、祖母の体調が悪くなってしまった時に祖母へ贈るために作られた曲だったようですが、完成に間に合わず祖母はなくなってしまったそうです。
再び母と義父の元へ、虐待の日々のはじまり
そして祖父の死後、母親の元に再び引き取られる事になった横山さんでしたが、弟さん2人ともすぐには馴染めなかったようです。
思春期ですし、4歳から1人離れて暮らしていたのだから、当然ですよね。
そして横山さんは義父よりネグレクトと暴力という虐待を受けることになります。
意味もなく叩かれたり殴られたりしていたのだそう。
更に義父は実の息子である横山さんの弟にも手をあげ始める。
横山さんは弟を守るため、わざと義父の気を引かせるような行動をとっていたようです。
母が履歴書を送りジャニーズ入り
高校進学を許してもらえず、「稼げ」と言われた横山さんは母親がジャニーズ事務所に履歴書を送りジャニーズ入りすることになります。
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入所当初は本名の「横山候隆(きみたか)」で活動していたようですが、読めない人が多いため改名。
ジャニーさんから「YOU」と呼ばれていたことから、「裕」となったようです。
母が離婚し家計を支える横山
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そして横山さんがジャニーズでのお給料をもらい出した頃、母親が離婚。
母子家庭として暮らすことになります。
とても貧乏な生活で4畳2間のアパートだったといいます。
水洗便所でなく、汲み取り式便所。
弟さんから「なんでうちはこんなんなん?」と言われた事がとても辛かった、と横山さんは語っています。
横山さんは母の離婚前の中学生の時期からアルバイトをしながら生活を支え、卒業後は建築会社に就職もしています。
ジャニーズJr.としての仕事が忙しくなった時期に退職をしたものの、会社の社長からは「困ったことがあれば助けになる」という言葉にささえられていた、と本人が語ってます。
その後も日雇い肉体労働のバイトをしながらジャニーズJr.として活動を続けていた横山裕さん。
生活費や弟さん2人の学費、進学費用、全て横山裕さんが稼いでいたようです。
彼は若干10代から一家を支えていたのです。
次第に弟さんとの距離も縮まり、今では大の仲良しに。
安心して暮らせる家族との暮らし。
しかし追っかけファンが家に押しかけるコトを避けるため大阪でひとり暮らしを始める事に。
大好きな母と弟さんと暮らした時間はとても短かったのです。
母、弟との関係は良好だった
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2010年の横山裕さんのソロライブツアーに母が見に来ていた
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2015年4月。
横山裕さんのソロライブツアーに初めて訪れる母の姿があった。
その際のMCでは見に来てくれた母に向けて
「カラダに気をつけていつまでも元気でいてほしいと思います」
「反抗期のまま育ってしまったのでこんな機会がないと言えないんですけど」
と語った。
そして母への思いを綴った横山のソロ曲「オニギシ」を関係者席に向けて泣きながら歌ったのだそう。
歌詞には
「小さい頃おにぎりと言えなくて、オニギシと言っていた、小さい頃の夢はお母さんと結婚すること」
「オニギシつくってよ」
と、幼き日の横山さんの母への気持ちが綴られていいました。
幼い頃、一番甘えたい時期に母と過ごせなくて、きっと甘え方がわからないまま大人になっちゃったのかなと感じますね。
しかしその直後、1ヶ月後のツアー中の2010年5月16日。
横山さんの母が急死してしまう。
虚血性心疾患のため母が急死
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全国ソロツアー中だった横山さん。
当日の午後4時からコンサートでは予定通り開催されました。
お客様には何も伝えず、普段通りやりきろうとしていたようです。
しかしこの日、ソロ曲「オニギシ」は涙で歌えなくなり、客席に背を向けてしまったようです。
ファンも横山さんの異変に気づいていたようですね。
その日以降のツアーでは、
コンサートラストの画面メッセージに
「家族を大切にね よこやまゆう」
という手書きの手紙メッセージの映像が増えていたそうです。
泣けますね。
母の死を支えた関ジャニ∞メンバー
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その後ツアーは無事終了。
実家の整理を関西ジャニーズJr.のメンバーが手伝ってくれたり、母親と行く予定だった韓国旅行にはメンバー渋谷すばるが同行。
メンバーが横山さんを支えたのだそうです。
弟の記憶喪失
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A−Studioでは母親の死後、弟が記憶喪失になっていたことを告白。
母の死後、涙を見せず一番気丈に振る舞っていたのが横山さんの真ん中の弟さんだったようです。
しかし、母の死の一週間後、急に倒れてしまい目覚めた時には記憶喪失に。
母親の死にまつわる2年間の記憶が完全になくなっていた。
ドラマみたいな話だが、本当に大変だったと横山は語っている。
大ブレイク中の関ジャニ∞。
横山は多忙な中時間を作り、弟のために記憶に刺激を与えるように一緒に思い出の場所に何度も足を運んでみたりしたそうです。
その後2年後に記憶が戻ったようです。
とても家族思いですね。
弟さんの結婚式の秘話
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そして現在は結婚した弟さん。
弟さんが結婚する際に、初めは式を挙げない予定だった弟夫婦。
しかし、弟さんの彼女と話してみた所、彼女の本心は式を挙げたいと思っているという事を知った横山さんは
「結婚式を上げろ、男として。」
と弟さんに説教をしたようです。
本当に素敵なお兄さんですね。
AStudioでは、最後に鶴瓶さんがこう締めくくっています。
「お母さんがなくなった時にヨコ(横山)は、弟は一人前になるまで面倒見ると宣言した。
上の弟は結婚し、下の弟は独立した。
俺はね、もう次はお母さんは”今度はもうヨコは自分のコトを考えて欲しい”と上で考えていると思う。
やっぱり自分のことをやらないと絶対にだめで、(中略)これからも関ジャニ∞としても横山裕としても、上を目指していただきたい」
と締めくくりました。
普段おもしろおかしいキャラクターの横山裕さんの意外な一面。
これからますます応援していきたいタレントの1人となりましたね。